祖母が他界して学んだこと

今年は忙しくて、お墓参りに行けませんでした。
秋のお彼岸には、ぜひともお参りしたいと思っています。
今日はおばあちゃんのことを思い出しました。
親代わりの祖母の最後を看取りたいと思って、会社を辞めて介護をしていた時もあったな。
大好きだった祖母だけど、祖母が生きててくれたらなぁ!と思うことしばしば5年も経てば、現実の中でそんなことも言ってられずに、毎日バタバタしながら、少しずつ祖母への思いも変化してきました。
もう11年経つんだなぁ。
介護をするにしても、専門的な知識も無く、祖母には申し訳なかったなと思いがあります。充分にしてあげられなかったけど、そばに居ただけで喜んでくれたなぁ。
私の子、ひ孫の顔を見たかった祖母に、私もひ孫を産んで祖母に抱かせてあげたかったけど、それもかなわず、祖母が亡くなった年に、長男がお腹に宿り、直感で「この子は産まれてくる!」と感じた通り、元気に生まれて来てくれました。
自然流産やお腹の中で何度も死んで育たなかったのに、命は本当に授かりものです。
人の思い通りにはいかないものだと、しみじみ思います。
8年間ボケた祖父を介護した祖母は、祖父がダメだった時に「もう十分頑張った」と言いました。
そう思うことで、祖母の死に踏ん切りを付けたかったのだろうと思います。
生前は一緒に働き、一緒に畑仕事をし、一緒に日本舞踊と詩吟の師範をし、いつも寄り添っていた二人でしたから。
確かに、毎日病院へ足を運び、貯金を削りながら病院代を支払い、今となって思えば、私がもっとしっかりしていれば、色々と祖母を助けてあげられたのに、祖母は少ない年金の中から私にお小遣いを渡すのです。
ありがたかったな。
子供も中々できなくて、離婚して戻ってきて、手に職をつけようと大阪の専門学校へ入って、毎日忙しくしていたから、自分のことで精いっぱいでした。
悔やまれることは沢山あるけど、後ろ向きではなく、前を向いて、同じ失敗はしない。
精一杯やっていこうと思います。
今 頑張っていたら、道は開けると信じながら、今できることの少ない私ですが、コツコツと積み上げて行こうと思います。
祖母に頂いた恩は、自分の子供達に恩返しの分を渡していけば良いよね。おばあちゃん。
娘が生まれて嘉奏子と関わる中で、私の憶測ではあるけど、息子一人を産んで育てた祖母は、初孫である 私が生まれて嬉しかったんだろうなぁ。って、祖母の気持ちが少しわかる気がするのです。
11年経って、ただただ ありがたい。です(合掌)

カナコもプリンセスBook作成中。
先ずは好きなプリンセスとお話の中で、どんなとこが好きなのか?お話を思い出しながら、シンデレラはガラスの靴とか、美女と野獣はバラが綺麗だったとか言いながら、明日も一緒に創るを楽しみます。
意外に俊哉が女子会に嫉妬?3日間合宿へ行って、ママと離れていた反動が見て取れる気がします(笑;)