ソウルメイト(人生のパートナー)

我が家はパパが忙しくてほとんど不在です。
気持ちを大切に考える私としては、心がすれ違わないようにと心掛けているものの、パートナーが同じ気持ちで居てくれるとは限らないのです。
それは元々他人だから仕方ないという考え方もあるでしょうが、私は心を重ねていくことが共に歩むことだと思っています。
譲れない部分があるとすれば、やはりそこで心が添わないなら、パートナーとして一緒にやっていく意味があるのだろうか?と考えだします。
話し合いに興じないなら、それは逃げであったり、ズレだと思っています。
仕事もそれぞれあるし、それぞれの考え方もある。それは共感したり、解り合うことで心を重ねていけると思う。
これは私の考え方。
時々確認しながら、同じ方向を向いてると思えたら続いて行ける。
お互いや家族を大切にしてないなと少しでも思える節があったら、しっかり気持ちを確かめる。
もう面倒だなと思うようになったら、おしまいだな。
10年以上前に、ソウルメイトという言葉を知って、とても気になる言葉だった。
軽く恋愛を楽しむタイプじゃない私は、ソウルメイトという人が居るなら、どうしても会いたかった。
ソウルメイトというからには、生涯一緒に歩んで行けると思ったから。
とても出会いたかった中で、パパと出会って、一緒に居ることが自然だった。
今思えば、パパに出会ってから、ソウルメイトに会いたいと思わなくなったから、パパがそうだったんだろうなと思っています。出会えたことに感謝しています。
私はわからなかったけど、パパの方がドキドキしていて、私はトキメキじゃなく一緒に居るのがとても自然だった。
もちろん尊敬しているし、素敵だと思う気持ちは今でも変わらないんだけど、パパはワガママが許されると思っている厄介なところがあり、そこが唯一ダメなとこなんだけど、一緒に居る中で、随分と変わってきたことも、素晴らしい!と思う。
それも私の考える心を重ねるに値するんだな。
逃げる、嘘をつく、ごまかす。そんな扱いを受けると、パートナーとしては不要と考えるようになる。
人を馬鹿にすることって、その人自身の浅はかさを露呈しているようで、裸で外を歩くくらい恥ずかしいなと思う。
少なくとも自分のパートナーがそういうことをするような人じゃないことは、私にとっては当たり前というか、人として恥ずかしくない人間と一緒に居たい。
私の出会いたかったソウルメイトっていうのとは少し違うけど、心を重ねて共に生きていくパートナーになれるなら、やっぱりパパがそうだったんだろうなと思う。
ソウルメイトっていうのは、出会うものじゃなくて、私の場合、共に時間と心を重ねていく相手なんだなと気が付いた。
育った環境や考え方も全く違う二人が、心を合わせて歩んでいく訳で、そこが人生の修行なんだな。
水に打たれるでもなく、火の中を歩く訳でもなく、カメハメ波を出す訳でもなく、パパと出会ったことで3人の子宝にも恵まれ、一人は宇宙人(次男)だったり、予想もできないことが毎日続いたり、それはそれで在り得ないことばかりだけど、毎日が楽しい修行です。
離れている時間が多くても、できるだけ共有していきたいなと思っています。
パパだけ寂しいのは嫌だし、私も孤独になるのは嫌だし、孤軍奮闘じゃなくて、感動を一緒に共有したいです。