親父殿が直腸癌手術らしい


運動会の写真です。私が膀胱炎でトイレへ行っていた時、俊は嘉奏子を親代わりに見てくれていました。
いつも凄く助かります。俊は優しい良いお兄ちゃんです。

さて母親から電話があり、ものすごくヘビーな言い方で「お父ちゃんが、火曜日に手術するから。直腸に癌ができとって、手術するから一応電話しといた。4時間くらい掛かる手術だから」と言ってきました。
母親のことだから、親父殿が「私や妹には言うなょ!」と言ってることを、さも大げさに誇張して言ってるんだろうと思いましたが、弟に電話して尋ねると、まさにその通りでした。
血液検査でも癌はわからず、出血しているから調べたらポリープがあって、その時切ってもらったけど、周囲の皮膚に残っていて取り除ききれなかったため、今回の手術になったのだけど、転移もないから心配ないそうです。
そんなことだろうとは思ったけど、パパに話すと、「(自分の)父親も直腸癌で2回手術してるけど、親は一人しかいないんだから、一応何かあったら嫌だから帰ってあげたら?」と言われて、私もパパの言うことならとその気になったけど、良く考えたら依存心の高い母親が、電話をすれば帰ってくるくらいに思うんだろうことは直ぐに想像できるので、行きたくないなあと思いつつも、私にとってパパの言葉は納得だし重いので、凄く久しぶりに岡山に行き、顔を見せておこうと思います。
私の祖母が痴呆で介護老人ホームへ入れる時も、私に相談も無く我が家の隣にある老人ホームの入居を進めていたような人だから、何かあったら私が面倒を見てくれるだろうとか、勝手に期待してるのが見え見えで怖い。
ずっと自分の私物のように私を扱ってきて、高校卒業後も母親が決めた道に進まされ、私が自分の道を進み始めた時には、追い掛け回してストーカーのように周囲に嫌がらせをして、勤め先や友人関係にキチガイのようにあることない事言いまわって、私を追い込もうとして、私の人間関係から環境全てを壊して行き、挙句の果てには全く関係ない彼氏の家にも乗り込んで行き、これまた訳の分からない暴言を吐いたらしいことで、結婚をダメにしてしまって、そこまでしたら自分のところへ戻ってくると思ったんだろうね、母親としてじゃなくて、人間的に最低だなと思ったので、私は長い間おつきあいをしていません。
母親は気が狂っているのだけど、普通に会話ができる部分もあり、それを境界例というそうです。二重人格に似てますが、まともな部分もあるし、キチガイでもあるし、変な宗教(エホバの証人)をしているので、「世界は近年滅びる。神を信じて言うとおりにしている人だけ救われる。」とか変なことを信じ込まされているので、余計に変人に磨きが掛かっています。
私の人生を思い通りにあやつろうとしたことからも解るように、未だに私をものと思っているところがあって、隙を見せて親子の情や優しさなど見せようものなら、すぐさまつけこんでくる恐ろしい人間です。
よっぽどなことが無い限り、私も岡山には寄り付きませんし、生家に泊まったこともありません。少しでも世話になろうものなら、100倍の恩返しを求められます。「あの時、あんなにしてやったんだから、自分にも100倍返せ」と
祖母が亡くなった時に、私の親は亡くなったと思いました。祖母が親代わりでした。祖母を慕っていました。愛情を掛けて育てて貰いました。
私の周りには面白い大人が沢山いましたから、反面教師にして育ちました。
でも今は友達にも恵まれ、尊敬できる諸先輩が沢山いて、本当に幸せなんです。周囲が変な大人ばかりだと、希望が無かったし、でも今は目標になる人が沢山います。それって本当に幸せなことです。
生まれた環境は変えられないけど、今は自分にはもったいないくらいの人たちに囲まれています。一生懸命生きてきて、それが私の宝だなと思っています。
でも一生懸命生きるのはやめようとも思っています。今は「ゆとり」が大切だと思うようになりました。
一生懸命だと見過ごしちゃう大切なことが沢山あるんだなと思う経験をしたから。今は心もゆとりが大切、だから一生懸命じゃなくて、頑張るんだけど、頑張り過ぎない練習をしてます。
ちょっと肩の力を抜いてっていうスタンスでいこうと思います。
次男の玲を生んだ時、ブチッと言う音と共に何かが体の中で切れました。筋なのか?筋肉なのか?とにかく産後歩けなかったり、今でも自転車に乗ると骨盤が開いて体調が直ぐに悪化するからとても気を付けてたり、当時も今も結構大変だったりするのだけど、思えば「力を抜いて行くことも大切だよ」ってことを教えられたんだなとわかります。
恐ろしい環境から抜け出すために、一生懸命に子供なりに頑張ってきたけど、大人になって好い年になって、頑張り過ぎちゃいけないよと言われました。人生いろいろあります。まだまだひよっこです。
…で、鬼になりきれない私は、母親がどう出てくるか想像できるにも関わらず、親父殿のお見舞いに参じようかと思っています。パパの言葉は大きいです。
「行かなくても良いよ。大丈夫だし」って思っていたけど、もしパパが同じ病気になったりしたら、もちろん手術が終わるまで張り付きで居るんだろうなと思うし、親父殿に対しては、人間として…っていうモラルの部分と、パパが言うからお見舞いに行こうと思っています。
癌は昔ほど怖い病気でもなくなったんだなぁ。昔は癌になったらおしまいくらいだったのにね。医療の進歩は凄いし、流石医療関係に従事していただけあって、親父殿も早期発見で命を取り留めて偉いなと思いました。