イジメは悪だと思うよ(頑張れイジメられっ子!)

一昨日のブログ別に悪口じゃないのにね。
自分も言われたら嫌な気持ちする人なら、同じことを人にするのって辞めたら良いんじゃないかな。返信は不要ってあったので返信はしないけど、私はOPENに自分の意見は言う。影では言わない。
トレードの話も子供の間で、本人が言ってるから、知ってる話。中で面白く会話にするママも居るんだけどね。
同じ仲間の悪口を言いまわって、「私はそれは違うよ」って擁護したら、煙たかったのかな?
ブログを削除しなければ、警察や教育委員会に通報するとかメール来たけど、いじめの現実がある。「長男がイジメられてきて、仕返しが怖い」と言うってずっと小さな我慢を続けてきたけど、私はイジメの現実に黙っているのは嫌だな。
息子がイジメられたりしたら、立ち向かっていける親でありたいなと思う。
子供のイジメの問題って、泣き寝入りしたり、一人で悩んだり、力が強い子には黙認があったり、そういうのを容認する周囲の暗黙の了解が怖い気がする。
「面倒なことになって、陰で殴られたり、絶対仕返しされる。」と言う息子。息子の気持ちは尊重したいと思うけど、俊哉は正直ビビッてるけど、私も泥をかぶろう!自分がされて嫌なことなら、人にもするな。ってことだと思うわ。
子供さんがイジメられてたり、何も言えなくて黙っていたり、我慢している被害者の方、いじめられないために自分も強い方に口を合わせてる人、調子良く楽しんでみている取り巻きの人、それぞれの関わりで
ハッキリと物事を言う私のことを嫌いな人も居ると思うけど、私は弱者応援!間違った強いものに巻かれるなとエールを送ります。
イジメで悩んでいる人が居たら、こんな親(大人)も居るってこと、知って欲しいなと思います。
皆が話題にして、イジメのこと知ってても流してたりしている普段の中で、こういう意見もあるんだなと考えてくれるキッカケにでもなれば、それでもOKです。
丁度、凄いタイミングで届いたメールマガジンをご紹介します。
【魂に問う 答え】
                「違和感」

人間には会話がある。
お互いの意見を交換しあったり、悩みや相談なども全て会話として行われる。
何気ない話しのときや、単なる噂話に興じるような時には会話に中身や重さを感じにくい。
ただ時間を過ごす為や、人との距離を感じたくないために会話に加わっていることもある。

そんな時、はっきりと或いは何となく違和感を覚えることはないだろうか。

「私は、何でこの場に居るのかな?」
「どうしてこんな話しばかりをしているんだろう、もっと他に話すことがあるんじゃないの?」
「この話には興味がないのに・・・。」

時には、笑顔で話していても別れると同時に、ホッとすることもある。
自分の感情を無視して話を続けていたことに、気付いたりする。

これもコミュニケーションだから・・・と諦めてはいないか。
人間関係を壊したくない、嫌われたくない、変人だと思われたくない、仲間外れになりたくない、
いろいろな「・・・ない」が原因となって、自分の望まない時間を過ごしたりする。

本当なら自分の興味のある話や関心のある話し、命や魂や宇宙や人生などについて語りたい、
そう思う人たちも多いものだ。だが「誰と話して良いのか分からない。」「どこで話せるのか?」
と探している人たちも多い。

違和感は自分の心が教える、身体もまた教えている。
気持ちが乗らない、退屈をしている、身体が自然にひいてしまう、むやみと手足を動かしている、
自分で自分に教えるサインでもある。

違和感が続くとストレスにもなりかねない。
様々なところで自分にとって「違う!」を、違和感は教えている。
もっと違和感の教えるサインを受け取ろう。
そして違和感のない日常こそ、自分の求めているものだと知ることだ。

 タマラ・加藤憲

あかね雲 HP http://akanegumo.sakura.ne.jp/index.html

以上、引用文でした。私は違和感の無い日常を目指しています。
大人がイジメを容認してちゃいけないと思う。小さい内だからこそ、修正できる問題もあるとも思う。
中学生になったらきっと、親でも入れない世界を子供たちは持ち始めるだろうと思うし、その時になって多感な時にイジメの問題も大きくなる、でも今既にイジメは始まっているなら、様子を見てきたけど、我慢させる必要は無い。
大人になって我慢を覚えるのは、別のことで良いと思うし、イジメがあるなら、解決方法を知る、大人が一緒に見つける経験の方が、子供にとっては貴重なんじゃないかなと思っています。
私は俊哉をイジメてる子のことも好き、本当は大好きなんだな。イジメや悪口や暴力はいけないと思うよ。でもその子のことは大好き。子供って大人の真似をするの。親が言ってることが正しいとか思っちゃう子って多いの。
親も自分が正しいって思いがちなの。でも親も未熟なの、だから一緒に戦うの。そして私が目指してるのは、セラピストなの。イエスキリストが言った「目には目を…」これはイスラム諸国で間違った使い方をされて、仕返しの意味で戦争になったりしてるんだけど、本当の意味はそうじゃなくてね、同じことをされたら、あなただって嫌でしょ。
だから「自分がされて嫌なことは、しちゃいけないよ」ってことです。もし解らない人が居たら、自分も同じ場所に立って、同じ目にあってみたら相手のことわかるよ。ってことなの。
イジメはいけないよ。
そして強い方へ巻かれないまでも、中立の立場で居て下さっている賢い尊敬できる母たちもいらっしゃる。あまりお喋りじゃないけど、日頃から尊敬できる方々で、人徳のある素晴らしい母親像を見て、私も見習いたい!凄いな!と日々尊敬している仲間もいらっしゃって、恵まれてるなと思う。
イメージって大切で、自分がどうなりたいのか?人は朱に交われば赤く染まるというのが真理で、そういう尊敬できる方々を真似していきたい。