私がどうであれ・・・

私がどうであれ、子供たちはパパと一緒に居たくて、しばらく会えないで居ると「今日はパパに会いにいける?」と尋ねられ、仕事が忙しいときなどは、その質問が多くなり、腰を上げて電車に乗って会いに行くことになる。
ひどく疲れ、ひどく傷ついて、感覚も無くしていた私の心は、小さな笑いを子供たちにもらいながら、開けて読む気力もなく、未開封にしている友人たちからの温かいメールのタイトルや、パパからの気遣いの言葉など、徐々に生きる方へ、上を向いて自然を感じる心を取り戻せるように導かれ、少しずつ動き出すことができています。
今は未だ、楽しみや喜びが面倒で、虚しく感じることが多いけれど、少なくとも現状を維持し、今に踏みとどまる力は生まれています。自分の中から何かが生まれ始めると、心が動きだし、次へ行こうとするようです。
今日は子供たちと一緒にどこかへ行ったりするのが、面倒で重く感じるのですが、あえて何も考えず、パパに会うために午後から電車に乗って京都まで出かけました。相変わらず仕事で忙しいながら、午後の時間を空けて待ってくれていました。
車で大津インターへ入り、道の駅で俊はカレーを食べて、その後ボーリングを2ゲームしました。車に乗って移動している間も、「こんなことをしたって、未来は無いだろうに」という思いはずっと私の悲しみの泉を溢れさせていました。義務的に子供たちのために、親の役目と思って動きました。
ボーリングで俊はとても上手にスペアを連発し、結局パパは私に50ピン以上の大差をつけて勝利し、手をつないで歩くだけでも、少しずつ心がほぐれ、ほぐれていく自分を感じ始めていました。