今の心境の記録

アフリカの子育てを読んだ。故ピーター・オルワ氏も、20kmも離れたカトリックの学校へ通うために、お弁当を持って出掛け、途中で喧嘩になったり、自分で答えを書いて丸をつけて、学校に行ったように見せて家に帰ったり、週に2日しか学校へ行っていないことがわかって、先生やみんなの前でお尻を出して本気で叩かれたり、母親はどこの家でも本当に怖いと書いていらして、やんちゃ坊主だと、その方法しかないか…とちょっとため息混じりに共感したのでした。
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それでもブログを読んで下さっている方、迷える母でスイマセン;私はちゃんと叱らない母親が居たら、それは育児放棄だと思っています。問題は叱り方なんだけど、いろいろとやってきて、どうやったら心に響くのか?大切なことはちゃんと解って欲しい。それだけなんです。言って聴かせてそれで解れば全然問題ないし、言って聴かせて解るようになって欲しいと創意工夫をしている訳です。
叱るにも信頼関係が必要だとも思います。私がいい加減な親だったら、叱っても何を言ってんの?!自分だってできてないでしょ。頑張ってないじゃん!と子供だって思うでしょ。子育ては真剣に向き合ってきたと思っています。色んなことを犠牲にしてきたけど、子ども達からは逃げてないと思うから、子ども達にもぶつかれる。何より子ども達の本当の笑顔を願っているのは私だと言えます。
パパ不在だから、飴もムチも一人で使い分け、難しいのは当たり前だよね。でもやってかなくちゃいけないから、本気で向き合ってる。

「子供にとってほんとうによいパパでいたいです。」と書いてくれたけど、パパとの距離は離れる一方で、私も最大の努力をしているけど、気持ちが離れているんだからしょうがないと感じるこの頃。人の気持ちまでは変えられない。でも私は動かしていこうと努力をしている。時々、そんな価値があるだろうか?こんな努力をして、それはみんなのためになるだろうか?と考えながら。
とても悲しくなったり、辛くなったり、どうでも良いと思いたくなったり、手放したくなったりしながら、それでも本当の自分の気持ちを探りながら、答えは今じゃなくてもいいと思うから、今は努力をしているけど、その間のママの気持ちも全部、子ども達は将来このブログを読んで知ることができるように、全部隠さず子育ての一部として記録している。
今日は英語教室から帰って、玲君が「ママー、玲ねABC全部書けたよ」と嬉しそうに教えてくれた。最近少し笑えない私の(ちょっと顔面神経痛ってこんなの?っていう症状まで出てきた)ことを気遣ってくれているのかもしれないね。喜ぶ顔を見たいんだろうなと思う。でも私が本当に幸せにならなきゃ、だから私は子ども達の為にも(これは本当に大きい理由)幸せになりたいの。人生の中で、1度くらいは心から本当に「幸せ」って言いたいよね。言っても良いんじゃない。
1度目の結婚式は、逃げたくてしょうがなかった。若かったし、逃げられなかった。でもやっぱり自分が幸せじゃなくちゃ、相手を幸せにすることはできないと知って、本当の幸せを探して離婚して、本当に良かった。後悔も何も無いし、本当にあの選択があって良かったと心から思う。
自分を押し殺して一生を生き続けるだけの勇気は無かった。そういう無難な道もあるかもしれないけど、私は本当の愛が欲しかった。相手は大事にしてくれたけど、私が愛せなかった。努力はしたけど。
それで今でも本当の愛(パートナー)を探してさまよっている。この一生で見つけられるかしら?来世で幸せになれるかもしれないけど、そんな宿題は持ち越したくない。このイキテル今を大切に、できるだけのことをしていきたい。
色んな見えない抵抗力を感じるけど、台風の向かい風に向かってでも掴んでいきたい。私にとっては、掴むだけの価値があると思う。
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