幼かった私と同じ姿


昔、私の父は国立の病院に放射線技師として勤める公務員でしたので、今は知りませんが、あまり裕福な暮らしではなかったと思います。同級生の家と比較したことはありませんが、妹は「あそこの家はお金持ちだ」とか言ったり、本人達がいつもお金のことでギシギシしていた気がします。
私は自分が貧しいとは思ったことがなくて、お金持ちの友人の家に遊びに行くと凄いなと思うこともあったけど、それはそれとお金で人を見たことはありませんでしたから、比較して自分を卑下したりすることもありませんでした。
ただ家がギシギシしていたり、DVを目撃するのは本当に辛いことでした。
親父殿は、ゴルフ場の会員権を8つも持ち、家が何個買えるかな?というお金を動かして道楽のゴルフを楽しんでいました。自分に投資する人だったと思います。ゴルフの会員権は当時は高価だったのですが、段々時代とともに価格が下落して、次々に手放して行ったと記憶しています。
父は自分のことが第一でしたが、私のことは親父殿なりに可愛かったようで、将来プロゴルファーにしたかったんじゃないか?と思うのです。よく練習場へ連れて行ってもらい、親父殿に習っていました。筋が良いとプロにも褒められましたが、プロになるにはお金が掛かるのを知っていたので、それ以上のことは何も期待せず、プロになろうなんて夢も持ちませんでした。
小学校の頃通ったゴルフの練習場の成果か?フォームだけはキッチリ仕上がっていて、3番ウッドでもかなり飛距離を出せます。
親父殿との子供の頃の思い出ってあまり良いものがありませんが、ゴルフ場へ一緒に行ったことは楽しかったなと思い出します。当時は親の野望など察することもありませんでしたが(笑)1度だけ、「友恵がプロになりたかったら、応援するぞ。」といわれたのを記憶していますが、家がお金のことでギシギシして居心地が悪かったので、私まで道楽に首を突っ込もうとは思わない、意外と堅実派な子供でした。
20代の頃は貯金が好きでした。コツコツ貯めては喜んでいましたが、早くに結婚をして、20代の内に結婚生活を清算した際に相手に慰謝料のつもりで8割置いて出てきましたので、自分で使ったことはありませんでした。
私の生まれた生家の名前から逃げたくて結婚したので、上手くいかなかったと思います。20代の頃は、頑張り屋さんで、頑張れば幸せを掴めると純粋に信じていました。精一杯努力もしたけど、私には全部合わなかった。
努力だけではダメだと思いました。自分が本当にやりたいことをしなくては、無理をしていたら、家族みんな(もし子供を授かれば、子ども達にも)自分のように無理を強いることになると気がついた時に、やり直そうと思いました。
あの時の決断は良かったと思っています。1度も後悔したことは無いし、良くやったなと自分でも思います。
家庭が安泰な場所であることが大切だと思っています。私が幸せであること。それを心掛けていく方針です。アラフォーになってやっと自分を大切にできるようになりました。
子供がゴルフのおもちゃを買ってと言うので、買ってあげて、何も言わずに放って見ていたら、何も教えていないのに結構上手だったり、楽しんでいる様子を見て、ちょっと昔のことやら思い出したり、遺伝子に感動したりしちゃいました(笑)
子供は三つ子の魂百までと言いますが、本当に大切なことだと思っていて、小学校の間に色んな体験をすることで、子ども達の未来は決まっていくと言っても過言ではない気がします。だから我が家はDSを持たせません。小さな画面だけを見て、周りが見えない子になって欲しくないし、もっと外を見て色んな体験をして欲しい。それが人間力になるんだと思っています。
この子達のために、頑張ろうって思います。先が見えない不安はあるけど、大丈夫。模索中です。