今日は誕生日ありがとう



毎年遠方の友人が、温かいメッセージと共に、お花を贈って下さいます。そのメッセージが、本当に粋で優しくて、素敵な女性なんです。同じ男の子のママで、私より大分先輩ママなんだけど、いつも応援してくれてて、私も感謝しています。今年もありがとう。
バラの数を数えると歳がバレルので、自己申告しますが、37歳になりました。バラの花束、年齢の数だけもらうっていうのは、どうなんでしょう?私の場合、正直なところNGです。私には似合いません。だってこれだけの花束数万円するじゃない。1本380円の37本の…かすみ草も入れると、2万円以上はするわけです。考え方が主婦だって言われそうだけど、正直なところ、子ども達は毎日部屋を散らかし、声が枯れるくらい「片付けなさーいぃ!!」って叫んで叫んで、やっとマシな程度の部屋に収まる日々な訳。こんな豪華なバラを飾るところなんてないの。私にはふさわしくないの。何より私は銀座のママじゃないわけ。そういう扱いをされたくないの。もういいの。私が欲しいのは、幸せなの。口先だけの遊びとかじゃなくて、みんなの幸せなの。特に子ども達の幸せについては真剣です。
昔、付き合っていた男性からバラの花束を歳の数だけもらったことがあります。しょうもない人間でした。でもしょうもない男ほど、夢を見て格好つけたがるものなのか?と、花束をもらって腹が立ちました。その時口に出しては言わなかったものの、「バラの花束を贈るのが似合う人間になるくらい、自分を磨けよ!」って思いました。そして気持ちもかなり冷めてしまいました。そんな経験があります。花束を歳の数だけ贈る男に、ろくなのはいない。私の経験値では、今までのところ、そう思っています。
バラの花束をもらって、ふさわしくない自分を卑下しつつ、情けなくなったり、悔しさが溢れてきたり、これもホメオパシーの影響だと思うんだけど、感情が大分揺れるようになってきました。今日は胃が痛くなる程、久しぶりに大泣きしました。もうこんなの嫌だ!私はそんなに悪いことしていない!もう充分やってきた。本当に幸せになりたい。でも本当の自分にとっての幸せがわからない。今まで幸せだったことがあるけど、その小さな幸せすら母親に潰されて、とても辛かった。怨み、憎しみ、怒り、様々な感情を押し殺して耐え抜いてきた人生。でも今は自分が幸せにならなくちゃいけない。子ども達のためにも。幸せだったことがないから、自分の幸せって何だろう?本当にわからないの。
愛を知らない人は愛せない。愛されててもわからないらしいけど、私も自分の幸せがわからないの。我慢することは、かなり上手だけど、私が幸せになるには、どうしたらいいのかな?そんなことすらわからないの。子ども達をノビノビと生きさせてあげたい。これは自分の人生の振り返りからの願いだと思う。心の底から、子ども達の幸せを願ってる。でも時には手をあげたり、怒鳴って叱ったりしてしまう。正反対のことをしていると知っていながら、そうなってしまうのは、自分が本当の愛を手に入れていないからだと思うの。日本の男性には期待していない。島国的思考についていけない私。やっぱり外国人の考え方の方が性に合う。色んな人と話して、見てそう思うこのごろ。

立派な花束をもらって、パパと喧嘩して、子ども達には「ママ?怒ってるのー?」「パパも?怒ってるのー?パパはニコニコー?」って、親の感情の揺れには敏感な子ども達に何度も尋ねられても、今日だけは怒りっ放しでした。だってトラウマになってるんだもの。パパには色々といつも良くして貰ってると思うし、ありがとうって思う。けど子ども達の幸せを考えると、180度考え方が変わってしまった。もうこんな扱いは嫌だ!これで良いんだと思う。
今日は嘉奏子の笑顔に大分救われました。どんなに怒っていても、嘉奏子や玲君が笑顔にしてくれる。そして俊が優しさをくれる。本当はパパにもありがとうって思ってるけど、もうこれでお仕舞いにしたいので、花束はそのまま返します。今日1日床の上に放ってあったのだけど、ちょっと元気なさげな顔になってきたし、お水くらいあげなきゃね。今日は満月。水を張ったバケツに立てて、お外に出して月光浴させています。