私は騙されているのか?


答えはYES!そうだと思う。優柔不断な男が、愛情はあっても責任を取れない場合、それは本物の愛情ではない?そうとは言い切れないと思う。ただ気持ちはあるけど、弱いだけ。つまり小物だっていうだけなの。私は周りの人に「なぜ子供たちの養育費をもらわないの?」とか言われるけど、人から何かしてもらうのが極端に下手だったり、嫌だったりするの。これは育った環境で培われたもので、ゆくゆくは捨てて卒業していく私の未解決の課題。そして見返りを求められるなら、全部自分で背負ってしまう私の心のしこりなんだ。
インナーチャイルドとか言う言葉で表現されることもあるんだけど、子供時代に経験から構築された、癒されていない癖なの。
私の育った環境では、母は「これだけしてやったんだから、こーしなさい!」とか父は「金がねー(無い)金がねー!」とか、呪いをかけるように常に口にしていて、それが凄く嫌だった(笑)私の中の普通なら、困った人には手を貸してあげたり、席を譲ってあげたり、横断歩道を渡るのを助けてあげたり、頑張っている人の手伝いをしてあげたり、当たり前の感覚だけど、母は「席を譲ってあげたんだから○○しなさい!」とか、必ず10倍くらい大変なことで見返りを求めるの。例えば私は孫と遊ぶのは楽しかろうと、一緒に遊ぶ機会を設ければ、「遊んでやったんだから…」(あんたも楽ができたんだろ)とこうなる。勝手に要りもしないのに2歳の子に6歳児サイズの(フリーマーケットで30円だったとか後で自慢げに話したので、自分が買い物をしたいだけなのにと余計に腹が立った)服を勝手に送りつけて、送ってやったんだからと恩を売る。私は友人から頂いた心のこもった服を大切に成仏するまで着させてもらって喜んでいるものの、母の押し付けの恩には、ホトホト辟易(へきえき)している。
母は愛情に飢えているんだろう。愛情の代替に買い物をして欲求を満たそうとするが、それは偽者の満足なので満ち足りることは無い。父と母の仲が悪いのは私が小さい頃からだし、正直なところ別れればいいのにと子供ながらに思っていたけど、大人には大人のそれぞれの理由があって、別れられなく、同居人として生活しながら長年一緒に暮らしている。それぞれが私から見ても未だに子供にしか見えない。年を重ねると人間的な成長ができにくいのか?私は心して気をつけようと反面教師にしている。
そんな環境で育ったために、人に何かしてもらったら、見返りを求められるんじゃないか?とか、「無償の愛」なんてものをイメージしにくいのが困りもの。祖父は血がつながっていないものの、私の中では本当のおじいちゃんであり続けている。祖父母が理想の夫婦かといえば、妹いわくそうではないらしく、結婚とか恋愛自体に何か意味があるだろうか?快楽とか欲求とか以外に必要性を感じられず、不要なものにしてしまえるなってことになっちゃって、男はどれも同じに思えて興味が湧かない、盛り上がらない私(笑)
でも子供たちの気持ちを考えると、あるべき夫婦の容(かたち)を整える必要があるだろうか?とか考えないことも無い。その場合、私に無償の愛を向けてくれる人を探さなくてはいけないんだけど、そんな人って宝くじに当たるくらいの確率でしかいないように思える。
私にとっては、子供たちの健全な成長が望まれるだけで、正直なところそれだけで面倒な恋愛をする気にはなれないなぁ。寂しさはあるものの、それは乗り越えられるんじゃないか?乗り越えてやろうじゃないか!と思う。
イライラしたり、カッカしたりしちゃいけない。笑顔で子育てできれば、それで良いんだ!それが難しい(笑)今日も部屋が散らかっていて、私のイライラが溜まってしまう。
玲君がトイレへ行って、それはとても賢いこと!本来なら褒めてあげなきゃってとこだけど、お尻を拭かずにベッドの上に来て、授乳している枕元や、足元を跳んだり跳ねたり座ったり、当然ウンチが布団につく訳で、「ウンチ出たの?」と尋ねて「出てない」っていう言葉を信じたばかりに、布団はウンチだらけ、ウソをつかれて寝る前に汚く汚れて、ウソや汚さや腹立たしさに情けなくなるやら、怒りがこみ上げてくるわ、そんな自分が情けないやらで、無茶苦茶だー!
我が家の(禁)ルールは3つ。これを侵すと叱られるのは、
(1)あいさつをすること。ありがとう、おはよう、おやすみなさい、いただきます等
(2)危ないことは駄目。
(3)人に迷惑を掛けない(人の嫌がることはしない)
小さいうちは、こんなことが難しい。けど最近は大人でも結構できていないと思う場面が多々あって、家の子たちには、マナーを守れる、当たり前の大人になってほしい!と思うのね。だから自分でもとても嫌なのに、うるさく言ってます。
最後に私は騙されているのか?答えはYES!そうだと思う。けどそれは彼にとって男と女のゲームのつもりなんだろうと思ってる。
私は現実を生きていて、彼はロマンを捨てずに生きている。これは男と女の違いでしょうがないと思う。けど男に甲斐性がない場合は、迷惑だよね。愛はあったと思う。でもそれが本物か?と突き詰めると、結局はあまりものっていうか、所詮ゲームはお遊びなんじゃない?って思うのね。でも私は本気で遊びにつきあったんだもの。もう充分愛したと思うし、もう遊びにダラダラ付き合ってあげるほどお人よしじゃない。子供がいるんだもの。子供たちの幸せがとても大切だと思う。そして私自身の本当の幸せをつかむためにも、ゲームは降板。ママもパパも互いをとても愛していた。これは正解。でも分かれたのは互いの幸せを願ってのこと。いつかわかってくれるだろうか?わかってくれるような生き方と、愛情がちゃんと伝わるような子育てをしなくちゃ。それが私の課題だ。
今日は将来を考えながら、何が一番良いのか?そんな中で1つの決断をした。私の気持ちが伝わるんだろう。嘉奏ちゃんは大泣きし、普通じゃなかった。子ども達の気持ちも私は背負っていかなくちゃいけない。子供たちは皆、絶対幸せにならなくちゃいけない。自分のインナーチャイルドを癒しながら、180度人生が変わってしまうかもしれない大舵取りをやってみようと、先を模索し始めています。