「だから言ったでしょう。」という一言を逃げ道にしたい人について


今日は俊が保育園をお休みしたいって言い出して、私も一緒に歩こうかなって思ったのでお休みさせたけど、結局仕事が忙しくて家で過ごすはめになったのだけど、DVDを観ながらデカレンジャーと言ってサラサラっと描いていました。「凄いね、上手に描けたね」って褒めるとこの絵が気に入った様子で、しばらく後になって、更に切った折り紙とセロハンテープでデコレーションした俊です。右上のカリフォルニアローズは、日本の椿のように首からポロッっと落ちるタイプで、繁殖力が強くて、株が広がって増えていくタイプの可愛いお花です。我が家の春はパンジーがあったのだけど、流石に5月を過ぎると暑さに弱いのでみすぼらしくなってしまって、新たに夏の玄関先にはこの花が置いてあります。俊がそのボロッっと落ちた花が可愛かったから持ってきて、「ママースカートみたいやなぁ」って(笑)子どもの発想って面白い。
先にリスクを並べ立てて、「だから言ったでしょう。」という一言を逃げ道にしたい人。自分は絶対的に正しいということでもないのにね。知識を持っているだけ、人の人生はそれぞれであるし、バックグランドも違うよね。だから枠にはめるってことはできないと思うのは私の考え方。日常の会話の中で、人を攻撃する言葉を口にする人というのは、視野が狭いなと思う。でもそんな人でも、自分の興味のあることや、経験したことがらという一部分においては、広い考え方ができたりする一面もあって、やはり人は多面体であって、こうだ!と結論付けることなんてできないと思うんだよね。
1つ言えることは、経験から学ぶ人が多く、現代の多くの人が人の気持ちを思いやるゆとりはないってことを感じる。
改めて絵本を書く題材を探す中で、小学校4年生〜6年生という活字離れの世代に向けて、面白いストーリーを書けないものだろうか?と思案している。1つのテーマとしては「人の気持ちをおもんばかること」これができないからイジメとか、自分勝手な行動を起こしたりできちゃうんだよね。PCの文化が発達してから育成もののゲームソフトやら、独自の展開を持つものもあって面白いと思うんだけど、「バーチャルの世界」に住んでいる人も生まれたり、現実との境界があいまいになっちゃったりしている事件やら、社会を見ていても、早熟な小中学生の現実とかいたたましいニュースがクローズアップされる毎に眼をふさぎたくなる。
もし自分の娘が、まだ幼さの残る純粋な年頃に、そんな事件に巻き込まれたりでもすれば、親として心引き裂かれるのはたやすく想像できることだからね。
元教師とか、教頭とか、校長とか、子供達により身近な場所で仕事をしてきた人達が、一転して犯罪者として検挙されるニュースを見ると、氷山の一角だと思うし、自分の身は自分で守れるような教育を家ではしていなかくちゃいけないなっていう話で、我が家は男の子だから未だマシだと思うけどっていう話が出ると、最近は「男の子も危ないらしいよ。」と必ず言葉が返ってくる。この時代に母として子ども達に何ができるだろうか?私を含めて子ども達の生活環境の中で、家族の中で、子ども達自身の中に、何が育っているか?いつも注意深く見ているけど、子育てとか子供たちと一緒に生きるってことは、時にはかなり真剣勝負っていう一面もある。何事も無いことの幸せをつくづく感じることもできる。
最初の話に戻るけど、色んな経験をするからこそ、それを乗り越えていけると良いんだけど、自分可愛さが残って責任主体でない人の場合は、自分を最大限に防御することで、最終的には人に対して「だから言ったでしょう。」という一言を逃げ道にする。
自分は立派だと思っているんだろうけど、わかってないなと思う。正直なところ、口で偉そうにうんちくを並べてみたところで、やっていることは未熟です。私の周りに数人、この手の人がいます。私はそこから何を学べばいいのかな?自分ができていたとしても、尋ねられたでもないのに、人のことはとやかく言わないことっていうのは必要だろうなと思います。今日は助産師さんがやってきて、新月だからこの潮で生まれると良いねと言いながら、レメディーを3種類頻回に飲むよう指示されました。凄い効き目で飲み始めるとスグに下腹がグーっと痛くなり、子宮内膜剥離をされた後の陣痛を思い出しました。これだ!でも結局、歩けるような状態ではなかったので、脂汗をかきながらも横になっていると、レメディーに慣れてきた私の身体が効能を抑え込み、陣痛は収まりました。
赤ちゃんはかなりグリグリ動いていました。私は疲れきって眠りました。色んなことを我慢してきた幼少時代からの体質、そうそう裏返るものではないんだと思いました。だからこそ強いという部分はあるんだけどね。何でも生きていく上では一長一短です(笑)
最後に助産師さんに「何てのんきな赤ちゃん」って言われましたが、個体差ってあると思います。病院とのせめぎあいでの中で、助産師さんにもプレッシャーはあると思いますが、それを人のせいにしたりするものでもないと思う。そして「個体差は助産師さんや病院側が判断するものだ」と言われたけれど、判断材料はと言えば一般的な基準(42週)でしかないあたり、それはちょっと違うでしょうと思いました。
例えば3日前の胎盤はこうでしたが、3日経ってこのように変化しているから、42週時点ではこういう感じでという推移などのデータを観ているならわかるけど、羊水とか赤ちゃんの心音等他に異常があるわけでもない場合、41週時点の胎盤の状態だけで、リスクを言い渡されて、「ご自分の判断で」とか「病院の言い分としては」ばかりが出てきて、「のんきな赤ちゃん」って言われるのはいかがなものか?あくまでもその話は一般的である以上の個体差を考慮した上での判断ではないと思われたわ。
私としては、妊娠42週であっても、熟していないから出てこないんじゃないのかな?と思うんだけどね。「ホメオパシーのレメディーも効かない体質も原因」とも言われましたが、昨日今日わかったことでもなく、それは以前からです。幼少の頃から我慢しなくてはいけない状況をずっと経験してきて、自分を抑え込む力は並ではないとわかっているし、そういう力は強いことはお話してあったしね。周りでワーワー言われる中で、自分は冷静であって、多くの判断と決断をしていかなくてはいけない今日明日です。