我が家のしつけ!ついに怒り爆発〜☆ドッカーン


毎日、子どもと一緒にお片づけ、やればできるのに、決して自分だけではしない。手伝っていても途中で遊びに戻る等々、パパには「いつも部屋が汚い」って言われて馬鹿にされ、心底情けない思いをして、涙と共についに!怒り爆発〜☆ドッカーン!
いつもニコニコしていて、叱ってもスグに後から抱っこしてくれる「ママが、泣いた!」っていう事態は、子どもにとっては一大事のようです。玲君は一緒になって、「ママ〜ママ〜大好きよー」と言いながら大泣きしてるし、俊はいつものごとく「ごめんなさい」を連発。
でも今回は、性根(しょうね)の無い俊の口から出た、その「ごめんなさい」を信じないぞ!と心して、号泣してやりました(笑)お腹の底から、悲しみを搾り出すように、全部出し切りました(笑)
最近は、しつけと虐待とが紙一重の事件も多々あり、家でのしつけをあまり公に口に出すことも不安なご時世に感じられますが…人はとやかく無責任に口数だけは言うものなのでね。昨夜はマンションの玄関先の廊下へ「出ていなさい!」と叱って、しばらく声を掛けずに放っておきました。幸い、窓を全開にしても寒くない夜でした。私は部屋の中で、時々悔しさと涙がこみ上げてくるのですが、お腹は痛くならなかったので、手を止めることなく、色んなものを捨てるっていうお片づけをしていました。おかげでタンスの引き出しもスッキリ!こういう時こそ、思い切ってものを捨てられて良い感じ。私が泣いたことで、ママは本当に悲しいんだってことをやっと理解し、お外で一人で考えることで俊は猛烈に反省することができて、いつもならニヤニヤしながら、「ごめんなさい」というところを、真剣にごめんなさいって言えました。
人の心を理解する、汲み取るっていうことは、並大抵のことではできないことなんだなって思います。ものが溢れて、何不自由の無い子どもにとって、アクション(行動)を起こす機動力になるのは、ママが悲しむから、身近な人が悲しんだり、居なくなったりして、自分が悲しいから、身近な人が喜ぶから、自分が嬉しいからということしかないようです。
イジメの問題とかを見ても、人の痛みや心を察することができない子って多いでしょ。結局は自分のこととして考えられないから、できちゃうことだよねイジメって。イジメだけじゃなくて、タバコのポイ捨てとか、ゴミのポイ捨てとかもイジメと同じ幼稚な行動。おもちゃを片付けなければ、捨てるよ!と言えば、また買ってもらえると思っている程度に思えます。でもママが泣くこと、感情をしっかりと見せることで、子どもが気がつくことって沢山あるようです。もちろん、いつも穏やかで、ニコニコしていて、温かいママばかりじゃなくて、イキテル間には、ママも泣いたり、笑ったり、怒ったり、色々あるよってことを見せるのはいいことじゃないかと思います。
感情のコントロールができないようでは、ダメだと思うし、いつも泣いてばかりとか(笑)いつも怒ってばかりっていうのは、精神衛生上も子育ての上でも良くないと思うよ。
でもママも同じ人間なんだよっていうことは、時々感じてもらって、同じ人間として生きていければ良いんじゃないかな?と子育てについては、思うようになっています。