玲君2歳の誕生日(前日に)パーティー


本当は1/16がお誕生日の玲君だけど、パパから朝電話があって「明日は忙しいから、今日にして」(はぁ… 絶句;)
やっぱりみんなが揃う日の方が、子ども達にとっては嬉しいから、急遽(きゅうきょ)今日は朝から買出しへ行き、丁度仕事の用事も片付けながら、誕生日プレゼントを買い揃えました。
お誕生日ケーキはやっぱりみんなで手作りが良いなって思って、ケーキの土台を焼く暇がないので、スポンジはジャスコで購入することにしました。

生クリームとイチゴを買って、手先の器用な玲君のために、お道具箱とか、クーピーの30色セットとか、折り紙&ケースとか、ノートを購入して、玲君だけだと俊が羨ましくて我慢させるのも可哀想なので、俊にはポケモンの筆箱を買ってプレゼント包装して貰って帰りました。
結構沢山ご注文を頂戴していたので、順番に準備をして、仕事を終えたのは4時半くらい。
本当は俊だけ先にお迎えに行って、いっしょに誕生日パーティーの準備(俊はお祝いのカードの作成)をする予定だったけど、そんな時間も無く、急いでお迎えに行き、時間に負われるようにして、何とか準備ができた。

パパとはなかなか電話もつながらず、結局いつになるのか?それによってケーキカットの時間も違うから、生クリームの泡立て始める時間もわからず、このやっつけ仕事のような準備に、ホトホト悲しくなってしまった。
私の母は(エホバの証人)という変な宗教に入信していて、誕生日などを祝わない。
エホバを信じている人だけは、もうスグやってくる世界の終わりを生き残って、生まれ変わった地球の楽園で永遠の命を受けると信じているため、誕生日を祝うというのは意味の無い、信仰心の無い行為とみなすらしい。
子育てに邁進し、子どもの成長を喜び、その節目として誕生日を誰より喜ぶはずの親族は、我家にはいない。
それにこの急かされて準備するような、やっつけ仕事…そこに愛はあるのか?
私は精一杯やってきたけど… 何だか虚しさが心の中に雲を連れてきた。
結局パパと電話がつながって、7時くらいになるっていうことがわかって、6:30から生クリームを混ぜ始めた。
7時過ぎても未だ来ない。心の中では、今日1日の思い、愛が無ければ虚しいという思いが広がっている。
俊は学習障害なのか?性格上の問題点ともとれる行動の1つで、自分でわかっていることでも、頭に浮かんだことをスグに私に尋ねるという行動を続けている。しかも問題だと感じるのは、常に私に息をする暇も無いほど話しかけていることだ。
1つ1つ応えたりする中で、一瞬の隙に生クリームが半分泡だったボールを玲君がひっくり返した。
俊の意味の無い、(意味の無い言葉は私にとって狂気の沙汰だ)狂気の言葉に追い詰められ、玲君のパワーに押され、あまりにもみじめな結果に、悲しさが溢れた。
30分も遅刻してパパが登場した時には、一緒に居る時間が30分減ったのだから、またあっという間にバイバイだろうと思っていたし、いつも実際にそうだから、当然のように今日の時間を予想した。
悲しかった。全部あまりものじゃないか。
パパとしては、時間を工面してやっと来たと言うけれど、それもわかるけれど、自分で責任を持てない事をしてきた、口だけの人生の尻拭いを全部私がやってきたし、そのうえ愛情も余り物だったら、何とも情けないじゃないか。
せめて愛は本物であって欲しい。それがパパが子ども達へ残せる唯一のものなんだから。
第3子、ついに女の子誕生?という新しい局面で、予定外のことではあったにせよ、また家族が増えることについて、初めて心から嬉しいと感じている。
俊がお腹に居た時は、パパのことが大好きだった。だから色んなことを頑張れた。
玲君ができた時は、別れると言って1ヶ月会わずいたことで、突然現れたボロボロになったパパが可哀想だなと思って、時間を掛けようと思い直した。彼に情を掛けた私にも責任はあるから、そう思って自分の責任だからと頑張ったし、妊娠中は周りにとやかく言われないことが嬉しかった。初めて静かな妊娠中を経験した。
そして3度目は、お腹の中に命が宿っている喜びを素直に感じることができている。3度目にしてやっと。
でも昨日は流石に惨めな気持ちになって、抑えられず号泣してしまった。こんなことは初めて。
パパは忙しい中でも、伊勢丹へ行って、玲君の誕生日プレゼントに本を選んでくれていた。
「あさひやまどうぶつえん」のとびだす絵本。玲君はその本を気に入って、何度も読んでいた。
私がこんなにも悲しい気持ちになったのは、実は自分の母親が宗教に傾倒するあまり、子ども時代から惨めな思いをしてきたことや、父親と母の角質にはさまれて、辛い思いをしてきたことが背景にある。
親は子どもの後ろ盾(どんな時でも帰れる家)であるんだけど、私にはそんな場所はない。
それがかえって、私自身の自立を促すことにもなったのだから、ありがたい環境だったと思うのだけど、私や私の兄弟だけでなく、私の子どもたちにも、普通に見られる祖父母から受ける愛情のかたちがなく、祖母はただ自分の気の向く時に我家に泊まりにきたいという。
奔放(ほんぽう)で自分勝手。何の協調性もなく、人間関係としては不愉快極まりない。
前回も勝手に来たいと言い出し、私としては仕事の調整をしたり、子ども達の遊びの予定も組んだり、体調にいつもより気を遣ったりして準備があるのだけど、自分が来たい時にいつでも来れると思っている。
みんなですき焼きを食べようと用意していたら、勝手に家を出て居なくなって、連絡もない。いつご飯を食べれるのか?わからない。
準備だけして、子どもはお腹を空かしているのに…待たせるしかない。
しばらくして電話がつながったと思ったら、ギョウーザが食べたくなったから、買って帰ると言う。
今日はみんなですき焼きにしようと話していた後で、家を出て餃子を買いに行っている、その意味不明な自分勝手な行動に呆れ返り、何度も繰り返されるこの勝手な行動に怒りすら覚えた。
すき焼きを焼きながら、横に買って来た餃子を並べた母親に、流石に注意した。
「すき焼きと餃子を一緒に食べて、美味しいと感じるの?そんな食事をしていたら、まともな子どもの味覚が育たないでしょう。自分が食べたいなら、自分だけの時にしなさい。子どもの前で叱るのも嫌だし、我が家では勝手な行動を謹んで頂戴。」…と
今までの経験上、おそらく母は路上で一般の人に話しかけて、世間話から始まって宗教の話をして、自分が神に捧げた「勧誘した時間」として申請するのだ。
小一時間くらいは待ったから、ただ餃子を買いに出ただけの時間ではないことは明らかだと思われる。
自分の心の弱さから関わった宗教に傾倒し、人に迷惑を掛け続けている人生。今は親孝行の範囲で来ることを許しているけれど、関わりは薄く、相手は親と思っているものの、私は背中で育った祖母を母と慕っているし、血のつながりはないけれど、育ててくれた祖父を本当に祖父と思っている。つくずく血縁というより愛情と思う由縁だろう。
じゃあ私の子どもたちについても、形より愛情が大切だと思っている。けど愛というものは、昔からはかないものとして語られている。そんなものにすがる気持ちはない。子どもが居なければ、いつでも新しい恋や他の生甲斐に進める私。
でも子どもが3人もできて、長い年月を共に支え合ってきて、我家にはそんな「温かい絆」がある。
人間だから、ダメな面があっても素敵な一面もあり、結局誰でも同じなんじゃないかな。
ジョン・レノンオノ・ヨーコのように、相性が良いと神様は一緒に居る時間を短くしてしまい、人生には常に試練が訪れるようになっている。
試練があるから、伸びる。人によっては、現状を維持することや平凡な毎日を送ることすら試練だとも思う。
イキテルことに意味がある。今日は久しぶりに泣いた。良い日だった。喜怒哀楽の中で、私に圧倒的に欠けているというか、一時期に「怒と哀」を一生分経験したので、もうあまり残っていないのかもしれない。
私の今の日常には無い「怒と哀」を久しぶりに感じることができた。これぞ健全な人間、イキテル☆ってことだろうから。
今日はマタニティーブルーってやつなのかな?とも思った。
興味深いことに、私が泣いた今日、あんなに元気だった赤ちゃんの、胎動をほとんど感じなかったことだ。
赤ちゃんもお腹の中で、色んなことを感じているんだ。
夜、ベッドに入って静かにしていても、動かない赤ちゃんに、初めて一体感を感じた日だった。