特番「天国からの手紙」を見て


1年で本当に子どもって大変化しちゃうんだなぁ。
子育てについては、私の生活の中心を占めているので、当たり前のように毎日書くことがあるんだけど、「家族」について考えるというのが、私のもう1つのイキテイルテーマとして、常に頭の中にある課題になっていると思う。
例えば「子供たちの成長と、成長に伴ってどんな風に家族という環境が変化していくのが良いのか?私の人生のパートナー(要る要らないを含めて)どんなスタンスで関わっていくのがベストだろうか?子どもに与える影響は?自分ひとりのことなら決断は簡単だけど、子供の気持ちを含めて、どうなんだろう?これが最優先される」ってことは、常に考えていることです。
昨日は久しぶりに「天国からの手紙」江原啓之さん出演のTVを観ました。もし今、家族の誰かが居なくなったら…
そんなことを考えるとね、「今」を大切に真摯(しんし)に生きよう、ちゃんと「アイシテル」を伝えて生きたいという気持ちが、改めてこみ上げてきました。
番組に出ていたご家族は「今、生きていることや、家族がそこに居るということは、そのときは当たり前だと思っていた」とみんなが言っていました。確かに平均寿命くらいは、誰でも生きるだろうって思ってるだろうし、私たちの周りの時間はゆるやかに過ぎていくものと、誰しも思っているだろうし。
でもよく考えたら、「死」って多くの場合、急にやってくるものなんだって、多分みんなが知ってる。
身内の誰かを亡くした人なら、「死」って急にやってくるし、私たちの意識の方が、その時についていけていないってことに気がつくもんだよね。
私の祖母の場合は、私が年末に実家に帰ったときに少し変だなって感じた。でもまさか「死」なんてスグに思いつかなかった。
平均寿命は生きたけど、まさか祖母が死ぬなんて思っていなかった。いつかは誰もが死ぬのにね。
癌(ガン)が進行したのと、老衰とで、全く天寿だったのに。変だなっ、多分あまり長くはないんだろうなって思いながらも、3ヶ月前は実感として受け入れられなかった。
年末に退職を意識し、2/20には看病の為に退職して、3/13が命日となった。間に合った。私にとっては母親以上の存在であり、実際に祖母の背中で育った。今でも毎日 祖母のことを思うし、応援してくれていると思っている。
祖母が亡くなってからも、江原さんの著書を読んでいたから、「また会えるよね」ってくらいに思うし、「今も、いつも応援してくれているんだものね、頑張らなくちゃね」って思うからこそ、必要以上に悲しむことは無かったと思う。
本物の「愛」があれば、「死」も人を隔てることはできないんだという確信を持って生きている。
「愛」は生きている時にこそ、育むものだとも思っている。
ずーっと以前に、パパが「死にたい」と言った時に、必死で止めた。弱さは後悔しか生まないし、周りに迷惑をかけ、自分自身にも周りのみんなにも悲しみをもたらす。
「死ぬ覚悟があるなら、生きてみろ!」って思ったけど、心が弱っている人はそんな力も残っていないっていうのを見てわかった。
愛しているからこそ、助けたいと思ったし、本当は自分の方がボロボロだったけど、明らかにパパの方が心が弱い人だと目の当たりにして、自分は捨て身で相手を助けた。
その後はヒドイ扱いを受けたけど、嫌いにはならなかった。確かに私の中にあったのは「愛」だったと思う。
私は彼のことを何の見返りも求めずに、ただ愛した。彼のことを充分愛したと言えるから、何の後悔もない。でも彼はどうだろうか?彼のことを考えると、私から距離を置いたほうが良いんじゃないかな?とずーっと思ってきたし、その方向性で努力をしてきたけど、彼自身はのんきなので、考え方の相違?もあって、答えは出ないままそれぞれ過ごしてきている。
私はどんなスタンスで彼と生きていくのが良いのか?答えというか希望を持っているけど、なかなか人生自分の思うとおりには運べていない。
子どもも3人に増えて、長い年月を思い合いながら過ごしてきた中で、お互いに少しずつ何か思いにも変化があるように思っている。
彼も私もお互い少しずつでも成長できているんだろうか?
番組の中で1年で3万人の人が自殺をしているっていう話が出てきたけど、3万人の人が死ぬと、きっと10万人以上の人が悲しみを負うことになるだろうなぁ。
視野が狭くなると、選択肢も狭まって、「死」を選んでしまったりするんだろう。
私も中学生の時に、クラスのみんなからイジメられて、死にたいって思ってた時がある。死にたいと思う気持ちは否定できないくらい、辛い現実は、それぞれに沢山あるんだけど、
「自分に越えられないような試練はやってこない」
神様はそれぞれ個々の器を試されるが、必ず雨の日も、雷雨の日も、雲の上には太陽が輝いているように、見守ってくださり、応援して下さっている。
ただ辛い時には、それに気がつかないだけ。
我家の周りには、(子どもの家110番)の看板をつけている家やお店が沢山あるし、困っている人を助けるための、国や行政の窓口も沢山用意されている。そこには確かに小さくても「愛」がある。
法律無料相談では、本当に色んな相談事を受付けて下さるし、アドバイスや解決の糸口を見出せるだろう。しかも無料で。年齢制限もない。
子どものイジメに関しても、それぞれの自治体にホットラインがあって、匿名(とくめい:名前をふせて)でも相談できる。何の気兼ねもいらない。
「死にたい」と思ったり、一人で混沌(こんとん)と考えたりするなら、誰か知らない人でも、話をしてみればいい。
麻薬(ドラック)に手を出してしまって、抜けられなくなった人でも、更生はできる。文字通り生まれ変われる。
生まれるときの痛みは、誰も覚えていないけど、みんな赤ちゃんは大きなリスクを負って、狭い産道を何とか生まれてくる。
生まれるときのリスクや痛み、同じような苦しみを経験してでも、人は何度でもイキテル限り生まれ変われる。更生施設もある。死ぬくらいの覚悟があるなら、とにかく色々とやってみて欲しい。
笑顔を見たことないって人には、声を掛けて優しい言葉や、思いやりの言葉をかけてあげたらいい。
私は沢山の気持ちに救われて、生きてきたと思っているし、とても感謝している。イキテルって楽しいと思えるようになった。
死ぬ覚悟があるなら、何もかも捨ててしまって、死ぬ前に どの1冊でも良いので 江原啓之さんの著書を読んでみることをお勧めしたい。