もしかして学習障害かも?


※2003年5月25日撮影(俊生後2ヶ月)
実は私の弟は、幼少の頃(母の覚えでは3歳ごろ)に咳止めのかりん酒を200ccほど誤飲して、急性アルコール中毒になって、病院へ運ばれて九死に一生を得る経験があった。
私は妹にも弟にもひらがなや勉強を教えてあげていて、妹は楽しく覚えたけど、弟は何度も何度も繰り返し教えても、なかなか覚えなくて、嫌気がさしたのを今でも覚えている。あれは幼少の頃の辛かった経験の中に入るなぁ。
私は母に「もう教えるのは嫌だ」と言ったけど、逆に私が叱られて教えてあげなさい!と命令されたのを覚えている。
結局、何年もかかって小学校2年生くらいまでひらがなを教え、やっと覚えてくれた。
俊にひらがなを教える時、あの記憶が蘇る。
同じものを感じる。何でこんなことができないのか?楽しめないのか?段々腹も立ってくる。
叱ると逆効果なので、ちょっとやって楽しいうちに辞めて、次につなげる。
ひらがなの練習を始めた1年半前から、途中で私が手を掛けられなかった時期もありつつ、ほんとうに少しだけ進歩したこの頃。
ひらがなはほんの序章に過ぎず、何かが変だ?と感じてモヤモヤと原因を探しながら、色々と試して試行錯誤する日々の中で、次々とこの問題をクローズアップするようなことが出てきた。
話すことの難しさ…聞くことの難しさ…集団の中での指示が理解できない。(指示を忘れて何度も聞き返す。)
2つ以上の指示は困難。話を聞く時の「注意の集中」が持続しない。
そんな俊を見ていて、益々訳が解らない私。
ところが、今日 ふとしたことであるキーワードを検索してみると、学習障害という文字が現れた。
サイトを見てみると、その症状たるや、今の私が悩んでいることやモヤモヤしていたこと、そして複数の箇所で俊の行動や思考に思い当たる節があり、合致している。
11/24 から日記を書いていなかったのは、携帯が壊れて代替機種として借りていた電話が大変古いもので、とても不便だったから。
だから11/24の日記に出てくる学習障害というのも、実は今日検索した結果の思い当たる節が、私の中で納得できたので使った言葉なんです。
もし俊が学習障害なら納得できることが沢山ある。未だ確定はしていないけど、ガックリときた。
息子が学習障害の可能性が高いんじゃないか?ということにガックリしたのでなくて、そんな息子を強く叱ったり、いけないと思いながらも、どうにもならなくて責めたりしたことを反省したから。
学習障害だとしたら、俊の全ての行動に納得がいく。
あぁ…私は変わらなくてはいけない。今のままではいけない。
様々な情報を集めて、今後の子育ての方向性に加味していかなくては。
学習障害について知れば知るほど、今までの迷宮の答が出たように思われる。
仮に学習障害だったとして、私は負い目も引け目も差別もない。
ただ人より努力の仕方が変わるだけで、それも1つの個性だと思う。
これで叱らなくて良くなるという安堵(あんど)すら感じる。今までわからず叱って悪かったと思っている。水の流れのように、逆らわずに流れていこう。