子どもの成長と共にやってくるプレッシャー


実は最近、わけもなく眠れないんです。色んな原因が絡まりあってなのだけど、その中の1つとしては、子育ても「このままではいけない」って漠然と思っていて
それはどうやら私自身が、大きく成長しないといけないことになりそうなんです。
何ていうのかな〜?母親の勘(かん)とかそういうのに近い感覚なんだけど、周りを見渡したり、自分の心の中を覗き込んで、どういう意味なのか?考えたりしています。
今までの子育てのモットーは、「ノビノビと色んな経験をして大きな器に成長して欲しい」って思うものでした。
私の「健康」の許す限り、本当に色んなところへ連れて行ったり、実際に見せ、触れて、体験して、人との関わりの中でも、通りすがりの方や、電車で合い席になった方など、ちょっとした会話を交わしたり、
日常の中でも大きな声で挨拶ができるように、私自身が笑顔でいるとか、ちょっとした心がけを続けて、自分も成長させてもらったし、子育てを通して自分と言う小さい世界が広がったと感じています。
全てはみんなが楽しく、気持ちよく、ノビノビと暮らしていけるように、色々と努めてきたのだけど…
今、それだけじゃなくて次の段階がやってきたのか?と思うようになったんです。俊の成長と共に。
今私の心に浮かんでいるのは、「習慣」とか「テーマ」という言葉です。
仕事をしていると、いかにシステム化して、無駄とミスをなくするのか。というところがポイントになります。
子ども達にも、自分の力を存分に発揮するためには、その基礎になる「習慣」とか物事の考え方「テーマ(目標)」が必要で、それを達成するという行程と喜びを味わってもらいたいなと思い始めました。
子どもは遊びの中でしか学ばないと思うので、「習慣」「テーマ」をいかに遊びの中で意識させるのか?それを模索しています。
今日は1時までに仕事を片付けて、2時からUSJ へお散歩へ行ってきました。とってもにぎやかで、人が溢れかえっていました。
俊は大きなクリスマスツリーの下で、ゴスペルのショーを観て「シュンシュンな、大きくなったら歌を唄うお仕事をしたい」って言ってました。俊はリズム感がとても良いので、Nice だと思います。
「夢」があれば、道は何とでも開ける。これは私自身が実感している宇宙の法則みたいです。
実は私も350人くらいだったかな、一学年の中で数人しか選ばれない全国の運動能力1級のバッチをもらったり、小学校からの選抜で学校と地区代表として選ばれたメンバーにいつも入っていて、記録を出したりしていました。
選抜メンバーで放課後に特訓とか受けたり、夏休みは特別合宿みたいなメニューが用意されていて、郡大会や県大会などに出ていたのだけど、母親が変な宗教に入ってしまったせいで、小学校4年生から特別な課外メニューには、親の同意を得ないといけなかったので、
参加させてもらえませんでした。
自分自身は、中学校へ行っても陸上部に所属したかったのだけど、疲れるからと言って、同じ宗教の人の娘さんが居る美術部しか入部を認められませんでした。
でも不思議なことに、妹は 特訓など特別メニューに参加させてもらっていて、姉妹なのに私だけ制限されることをとても辛く感じていました。
今になって聞けば、「初めての子で育て方がわからなかった」と言っていたけど、私が親の言うことを聞く「良い子ちゃん」思い通りになる子だったからだと今ならわかります。
私は親を困らせたくなかったし、母親の変な宗教のために夫婦仲が悪く喧嘩が絶えない家庭の仲で、母をとても気にしていたので、いつも親に気を遣って生きていたから。
自分の体験から、色んなことを子育ての中で思います。
親が子どもの素質や可能性を閉ざすことがあってはならないし。
両親が不仲で、子供達に気を遣わせたり、ノビノビと暮らせないような家庭ではいけないと思うし。
子どもがノビノビと成長し、その可能性を発揮して輝くような笑顔で暮らせるのは、何より大切なことだと思ってる。
だから叱った後は、とても反省するし、どうしたらより良く、この子にあった接し方ができるのか?とか考えます。
子どもは優しいんです。親のことを愛しています。そして弱い立場だから。大地から芽を出した新芽のような存在なんです。
力強く太陽に向かって伸びようとしている子ども達。親が太陽をさえぎってはいけないし、強風が吹けば被って守り、温室で育てるのではなくて、四季折々の風や天候を感じながら強くなる。
私にできることって何だろう?今 やるにふさわしいことは何?
ちょっとした転換期がやってきているのを俊の成長の中に感じています。