世界遺産 熊野古道 ★大阪発日帰り旅行(後編)


※大斎原(おおゆのはら)の大鳥居
現在の熊野本宮大社の鳥居を出て、道を隔てたお向かいの田んぼの中のような場所に大きな大鳥居が見えます。徒歩5分にあるこの大鳥居へ行って見ましょう。
田んぼの真ん中に一本の幅1メートルちょっとの細い道が真っ直ぐ伸びた先に、大鳥居があります。
熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流地点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中州にある大鳥居をくぐると、昔はこの場所に熊野本宮大社があり、洪水で今の場所へ移された明治22年までは、現在の約8倍の規模だったということです。
大きな真っ直ぐに天に向かって伸びる杉の林があり、少しひんやりとした空気が、穏やかな中にも神聖な雰囲気を漂わせています。
鳥居をくぐった横に、大鳥居についての説明が書いてある看板が立っています。
「日本第一大鳥居建立の意義」
 人心が神と自然から離れつつある今日、当社の最も危惧するところは「命脈の護持」であり次の世代への日本の心(精神・魂)の復活を祈念することであります。
 神代の時代、素盞鳴尊(家津御子大神)が大地の荒れ果てているのを嘆かれ、自ら木を御手植えになられて「木の国=紀の国」と名づけられました。
 皇紀2661年を迎えた日本国にとって、大なる節目であることは無論の事、この節目の始めに当たり「日本人の精神(心)の蘇り、日本経済の再生、熊野の山々より環境の大切さの再認識、国内は基より世界人類平和」を確固たる事を祈念し、
今こそこの壮大なる熊野の山・川は申すまでもなく、大斎原を発信基地として熊野の大神の広大なる御神徳を得て、新たなる世紀が神と自然と人が共にあるよう、皇紀2661年、熊野の御神徳が発揚かつ千木高く厳然として鎮まりますよう、熊野本宮大社・熊野信仰の原点となる大斎原に、日本最大の第一大鳥居を建立する運びとなった次第です。八咫鳥(やたがらす)を掲げた天下一大鳥居であります。
施工は、平成十二年五月十一日です。( 幅 )約四十二メートル ( 高さ )約三十四メートル
日本には天照大神アマテラスオオミカミ)を祀る神宮(伊勢)や、素盞鳴尊(家津御子大神)を祀るここ本宮(熊野)、大国主尊を祀る大社(出雲)を始め、たくさんの神社がありますが、神社で最初に目に付くものと言えば鳥居です。
鳥居は神社が申請で清らかな場所であること、つまり神様のおはしますことを示す一種の門です。

上記のような説明書きでした。

世界遺産認定の石碑
【石碑の全文】 「紀伊山地の霊場と参詣道」は、2004年7月に「世界の文化及び自然遺産の保護に関する条約」の「世界遺産一覧表」に登録されました。
この一覧表への登録は、その文化遺産や自然遺産が、全人類の利益のために保護されるべき顕著で普遍的な価値を有することを証するものです。
 「熊野本宮大社旧社地大斎原」は、霊場熊野三山」を構成する「熊野本宮大社に含まれる遺跡で、檜の枝に神々が3枚の月形となって降臨した地と伝えられ、明治22年(1889)の熊野川大洪水まで、熊野本宮大社が鎮座していました。
遺跡の中央には、神々の社殿が軒を並べていた切石積みの基壇が遺されています。
本宮から霊場「吉野・大峰」までは山伏修行の道「大峰奥駈道」、霊場高野山」までは「熊野参詣道中辺路(なかへち)」、さらに遠く伊勢神宮までは、那智山と結ぶ「雲取越」を経由して「熊野参詣道伊勢路」が続いており、
「祈りの道」の面影が信仰の基盤となった文化的景観とともに良く遺されています。
世界遺産ではあるけれど、諸外国からの観光訪問は未だ少ない様子で、特に定年を迎えたシルバー世代のツアーが多く見受けられました。
自然を愛で、日本という国に生まれ、自然の中で生かされ発展してきた経緯を忘れがちな都会の生活が私の日常ですが、やはり土の上を歩き、清らかな空気を胸いっぱいに吸収して、とても満足の1日でした。
車で5分程度移動し、本日最後のポイントへ向かいます。

※車で移動中に少し紅葉していたので写しました。今年は紅葉が遅いそうです。
さて、最後は川湯温泉(仙人の湯)ですが、こちらの写真は残念ながらありません。人が裸で入っていたりするので、うっかり写してしまうわけにもいかず(笑)
この川原は川底を掘ると76度の高温のお湯が湧き出す、自然を堪能しながら入れる野性味溢れる温泉なんです。
11-2月は、ちゃんと千人ほどの人が入れるスペースが温浴場所で用意されていますが、シーズン意外はスコップ持参で自力で掘って入るようです。
川原を少し歩いた先に、駐車場も無料でありますが、ここで野生のサルを見かけました。
車の窓はしっかりと閉めておいたほうがよさそうです。
泉質は:ナトリウム一炭酸水素塩・塩化物泉
向かいの山並みの紅葉を眺めながら、夜は降ってくるような星空を眺めながら、流れる清流の音を聞きつつ入れます。
男女混浴・下着では入れませんが、水着の着用は義務付けられていないため、裸の人もいました。
トイレはありませんから、道を渡った山沿いの宿屋へ借りにいくことになります。
川の水を取り入れているため、温泉の温度は場所によって熱かったり冷たかったり。
また最初足を入れると丁度良い感じだったのですが、川底は冷たかったり、また岩そばまで行くのに、川底の石の上を歩くのは、ツボを刺激されて健康的ですが、かなり痛かったです(笑)
場所を定めてお湯につかっても、しばらくすると温泉の湧き出る場所が移動したりして、ぬるくなったり、温かくなったり、またお尻の直下から湧き出てきた時は、ちょっと熱いです。
ヤケドするほどではないので、大丈夫。
でも川底の石には、水コケがついていて、お湯をかき回すと茶色いコケが浮遊します。
歩いている時にこけないように気をつけたいですね。
何はともあれパパ・ママ・子ども達がみんなで入れる、そして自然を身近に感じられる温泉っていうのは、こういうもんだと思って、少々妥協もしながら、メリットを最大限に楽しみました。
何といっても子ども達は大満足だったのだしね^。^

※帰りの電車は 特急スーパーくろしお32号 車中で買った紀州名物の小鯛 雀寿し弁当
このお弁当の由来は、遠く源平時代美男平の維盛が紀州有田の奥城山に籠りしとき最も愛好せし兵食と伝えられ、歌舞伎にもあるごとく用器は概ね(おおむね)桶を用い鯛の形あたかも吉原雀の踊れる如くかたどりて雅味最も豊かなるものなりきと。
夕方買ったので、あまり車内での駅弁は選べませんでした。
やっぱり兵の食というだけあって、食だけが楽しみであっただろう籠城中(ろうじょうちゅう)には、海の魚を保存食とすることは、大変な贅沢であったことと思いながら、ポソポソと頂きました。
さて最後まで帰りの列車の中でも元気な二人の坊や達は、眠ることもなく、抱っこ〜★とか狭い空間の中で右往左往しながら、何とか他のお客さんたちに迷惑をかけることもなく、2時間掛けて大阪まで戻ってきました。
パパもママも腕がその日のうちに筋肉痛(笑)
「その日の内に来るんだから、マダマダ若いよねー」とお互い慰めあいながら、楽しい一日が終わりました。
夜、眠る前にベッドの部屋で玲君がお参りの物真似をして、ケラケラ笑って、何度も何度も手を合わせて頭を深々と下げては、それが可笑しかったらしく、ケラケラ声を立てて笑っていました。
俊は「また行こうね」ってガイドブックを広げて、今度はココへ行きたいとかいってるし(笑)
みんな楽しかったんだなー。良かった良かった。