世界遺産 熊野古道 ★大阪発日帰り旅行(前編)


※電車大好きな玲君、お外を眺めて、すれ違う列車にご満悦
大阪から日帰りで子供連れという条件で、世界遺産熊野古道)の探索と秋を満喫する旅行を計画しました。

※車中からの風景 左側の席はみかん山が続きます。

オーシャンアローの車中で頂いた駅弁です「花咲弁当」
何といっても列車の大きな窓に流れる、美しい自然・海・山々が美しかったです。
【大阪から日帰り世界遺産 熊野古道散策の旅程】
(1)JR京都線・京都駅が始発の特急オーシャンアロー283系
新大阪発 9:02am (車中で駅弁)↓乗車時間 135分 直通で白浜 11:17am 着(予定)
(2)JR白浜で駅前レンタカーを借りる
※関西からのJR利用+レンタカーの旅行なら、期間限定のFきっぷがお得でした。
全車カーナビ付、1300cc HONDA の ECO CAR なので、燃費も良かったです。
1日中山道を乗って、走行距離は約 90km 満タンにして返して 6リットルでした。
1リットル¥148 なのでガソリンは1,000円足らず。
◆オプション ・自賠責保証 1,050円(1日)・チャイルドシート(長男4歳)ベビーシート(次男1歳)各1台ずつで2,000円だったかな?
JR白浜駅を出て継桜王子を目指して(11:30)出発 ↓(車で移動30〜40分)
(3)継桜王子(12:10)国道311号線を走り、途中目印の看板を左へ国道を離れて登っていく。
近くに「野中の清水」全国名水100選と継桜王子下に、築250年の民家「とがの木茶屋」があり、風情ある縁側に座って、紅葉の山々を遠方に眺めながら、古代団子やお茶などがいただける。↓(約60分散策)13:10出発車で30分程度移動し本宮大社へ向かう
(4)本宮大社 13:40 到着予定 ・熊野本宮大社(国の重要文化財)・癒し処 からす屋 熊野本宮店 複数の雑誌に年中無休とあったがお休みでした(残念)・大斎原(おおゆのはら)徒歩5分↓(約1時間散策)14:40出発 川湯温泉(仙人風呂)へ
(5)川湯温泉 14:50 到着予定(約60分滞在)・裸でも入れますが、混浴なので水着をお忘れなく
・11-2月は掘ってくれていますが、その他はスコップ持参で自力で50cm 程掘ってから入るようです。
仮設トイレはありませんが、道を隔ててお向かいが宿泊施設が立ち並んでいるので、お借りできます。
サルが出るので、車の窓はしっかりと閉めて行きましょう。
(6)15:50出発 →JR白浜駅へ 17:00到着予定
(7)スーパーくろしお32号 17:34 白浜発→天王寺着(19:34分)→新大阪着(19:51)※車中で駅弁

※野中の清水/山道なのでジグザグするのだけど、左手に看板があって、民家の道を登っていく感じで車を走らせる。
実際にはバスも走っている道でした。本当にココで良いのかなあ?って不安になる前に、ちゃんと手作り風の看板が出ていて、車で道なりに登っていき、継桜王子へは最後は自分の足で階段を登る。
継桜王子へ着く前に、ちょうど継桜王子の崖下に位置する「野中の清水」があり、全国名水100選にも選ばれている場所が、真っ赤な欄干(らんかん)を目印に左手に現れる。
手前は石畳の道になっていて、わかりやすい場所です。車も2台くらいなら待避所みたいなところに停めて降りれます。

※階段を少し降りたところに湧き出していました。地元の方も20リットルタンクを持って、くみに来ていらっしゃいました。
水量もたっぷりで、常に流れ出ている状態なので、これだけの山の木々を養うだけのお水があり、未だとうとうと湧き出て流れ落ちる水量に、自然の恵みとパワーを感じます。

※野中の清水の全体風景
子たちは車中で眠っていたのだけど、ちょうど目が覚めて、この山からの湧水を頂きました。
湧水の頭上には、見事な枝ぶりの紅葉(もみじ)が、ふたをするように枝を広げていて、紅葉(こうよう)すれば、赤い欄干と共にどんなにか素晴らしいだろうね。
とパパが言った言葉にしみじみと同感しました。

※右は一願白竜大神の祠(ほこら)少しくぼんだ、浅い洞穴の前に祠がありました。左の神様は味のある人の姿で石に刻まれています。

※南(熊野本宮大社の方角)に向かってのみ枝を伸ばす不思議な杉 継桜王子の「野中の一方杉」境内の斜面に一方杉の巨木があり、県の天然記念物に指定されています。
この杉の元に行くまで、足がだるくなるような傾斜の階段を登っていくんですょ。
「一生にきっと1回来るか?来ないかっていう場所だけに、体力がある内に来れて良かったね〜」
二人でそんなことを話しながら、パパは玲君を抱っこで、俊を先頭にしてひょいひょいと登っていくのを、ママはゼイゼイ言いながら追いかける始末(笑)
運動不足を実感。まあ妊娠4ヶ月でこの体調・今日のお天気・温かい気候、全て順調なこと、杉のふもとに立つと、自然とここに来れて「ありがとう」っていう気持ちになりました。
本当にこんなベストな状態で、来れたことは偶然ではないように思えます。

この立派な鳥居をくぐって、石段を何段も登って、かなりの傾斜を登っていきます。
この傾斜にあの巨木が平然と立っているということだけでも偉大なパワーを感じますが、自然の中でも卓越したものには、自然の神が宿るのかもしれません。

※子ども達が立つと一目瞭然(いちもくりょうぜん)その大きさに圧巻
大杉の存在感は圧倒的、素晴らしいマイナスイオンを堪能し、自然とそこに居るだけで癒されていく自然のパワーを感じました。

※これが夢に出てきた光景
 夢に出てきた大木に静かに寄り添って頬を当てた時、何とも言われぬ安らかな気持ちになり、自然と「ありがとう」という言葉が胸の底から湧いてきました。

※継桜王子のお社
田辺市教育委員会 の碑によると…
藤原宗忠(むねただ)は、天仁二年(1109年)10月に熊野に参詣した際に、山道の左辺に継桜の樹あり、木は檜(ひのき)で、誠に稀有なこと」と、日記に記しています。
檜を接木とした桜が成長していたものとみられます。
建仁元年(1201年)10月に後鳥羽上皇随行した藤原定家(ていか)の日記、あるいは、承元四年(1210年)四月、修明門院(しゅめいもんいん)に随行した藤原頼資(よりすけ)の日記には、「続桜」王子とありますので、鎌倉時代にはこの珍しい木の傍らに王子が出現したようです。
ただし、藤原宗忠の参詣記では、仲野川(現、野中川か)を何度かわたるように記していますので、この王子社はその後現地に移されたことも考えられます。
江戸時代には若一(にゃくいち)権現(ごんげん)ともよばれ、また、社前の桜樹は「接桜(つぎざくら)」、更には「秀衡(ひでひら)桜」ともいわれて名木となっていました。
王子社から約百メートル東にある現在の秀衡桜は何代目かにあたり、明治中期に植えられたものです。
明治時代には王子神社となり、末期に近露の金比羅神社(現、近野神社)に合祀(ごうし)されましたが、社殿は残り、後に神体も戻されました。境内にある九本ほどの杉の大木は、枝がすべて南向きに伸びているため、「一方杉」と呼ばれています。
神社合祀の際に、南方熊楠(みなかたくまくす)らの保存運動によって残され、現在はこの神社に奉納される「野中の獅子舞」とともに、県の文化財に指定されています。