除霊と供養が必要だなあ


玲君と嘉奏子が結構なお熱が続いていて、マイコプラズマ肺炎というのが流行っていて、結構高熱が続き、咳が出てなかなか治らないと聞きました。
我が家は、相変わらずホメオパシーで対処していて、二人とも高熱は出したものの、徐々に元気を取り戻しつつあります。ただ、2日もスクールを休んだ私は、ついていけるか?心配ではあるものの、ここは気合だー!ということで、遅れを取り戻すしかないと、少々覚悟を決めていますが、最近 どうも生きる喜びとか、気力とかが足りなくて、頑張るとか、踏ん張りとかが利かない状態の自分が、いったいどうしちゃったんだろう?と思う次第です。

この自分の中の数パーセントが、人生に対してとても冷たい、乾いた視点で傍観していることが、生きていく上で、エンジンが燃えない車のように、平坦な道だと惰性で生きるのですが、上り坂になると、これを上ったところで、何がある訳でもなし、と気力が出ないのです。
人生の楽しみとかが無いんです。49日過ぎていませんが、加寿子おばあちゃんが、成仏できていないんじゃないかと思います。基本的に霊とかに敏感な体質なので、おじいちゃんが亡くなった時もそうでしたが、また憑いている気がします。祖母は家族に恵まれませんでした。子供は二人できましたけど、家庭を捨てて恋と仕事に生きました。
全てが虚しかったようです。大好きだった買い物も、存分に楽しんだ後、最後には物欲も失せて亡くなりました。幸せだったでしょうか?その祖母が、自分の気持ちをわかってくれる、私に憑いて供養して欲しいと願っているように感じています。もうだいぶ前から気がついていましたが、この祖母の思いは、重く、そして未だ幸せをつかめていない私にとっては、本当に辛く感じられることでしたので、供養もままなりません。

車を買ったら、それ相応のことができる霊能者の方にお願いして、除霊と供養をお願いしようと思っています。毎日子育ての中でも、喜びが薄く、生きる喜びが無いのです。家庭という面で、私が本当に幸せにならなければ、祖母は成仏できないのかもしれません。今回はかなりしんどいです。
子供たちの喜ぶ顔が、自分の元気の源でもありましたが、それは過去の話、子育てに気が入りません。一応、公園へ連れて行くのです。こなす子育てと日常。これが何かを生み出すとすれば、前向きなものではないはずだと思いながらも、わかっているけど、私は今本当に変です。そして苦しんでいます。正確に表現すれば、無感動で何も感じないという方が正しいかもしれません。