終末の呪文

実は死んでもいいと思っています。でも子供たちがいるから、一応生きて家事労働をしています。
何も楽しいことや喜びがありません。家族はみんな勝手バラバラ、好き勝手しています。
先日決定的に私の中の開けてはならない扉の呪文をパパが唱えてしまってから、私の中で何かが変わり、今のように考えるようになりました。
それまでは子供たちの幸せのために、いろいろと努めてきましたが、今はまったくそんな気持ちすら持てなくなってしまいました。
自分が死にたいんだからしょうがないだろうなと思います。
何の楽しみも喜びもない世界。一生懸命子育てしても、子供たちは好き勝手バラバラ、パパも私の許容できるアンダーラインにも入らなさそうな気がする。一緒に将来を築いていく予感が消えたのかもしれません。
目標が無くなれば、生きる意味を失うのかもしれません。私にとっては、最後の砦を陥落させるに十分な呪文だったと思います。「もういい(もうたくさんだ)」これが終わりの呪文だったと思います。それだけギリギリのところで、よく頑張ってきたと思います。良く頑張った。
戦争を体験したわけでもなく、甘いと思いますが、正直なところ、戦争を体験しても、イキタイ☆復興したい☆という思いがあれば、立ち直れるでしょう。
私は1つの幸せに向かって、努力してきました。いつも頑張ってきたけど、上手くいかなかった。喜びも楽しみもないから、ロボットのように日々の労働をリピートし、洗濯物をたたみ、片付けて、また洗い、繰り返す。
自分が笑えなくて、子供たちに笑顔を向けることもできなくなってしまいました。
パパともいつもと変わらず、普通に話していますが、何かが私の中で違います。もう将来を一緒に考えられなくなっている気がします。
花を見ている時にだけ癒されます。美しいものは、好い。
着飾ったり、物欲を満たすことに際限はなく、追いかければ虚しいと知っているので、物を追い求める物欲は無い。ただ「愛」だけを求めてきたけど、その1つを手に入れられなかったなぁ。
仙椎腫瘍と診断されたけど、良性か?悪性か?そんな検査もどうでもよくなった。病気で死ぬなら、それでいいし、子供たちが幼くても、しょうがないと思う。施設に入っても、子供たちは育つんだから。子供たちにも何の期待もしていない。子供たちは子供たちのそれぞれの人生があるだろうから。