我家の宝物たち


お風呂には結構ゆったりと入っています。お風呂にヤングビーナスB2 というなめらかな薬用入浴剤を入れるようになって、玲君のアトピー性皮膚炎がわりと改善されています。生協で購入していますが、いつも取扱っているわけではないところが考え物。
ネットで購入できるシリーズは色が昔のバスクリンを髣髴(ほうふつ)とさせる黄緑色なので、ちょっと嫌なんです。
玲君はお風呂好きだけど、のぼせそうになると扉を開けて、冷たい空気を入れるので、冬はちょっと寒い(笑)

今朝も玲君は夜泣きをして1時間半も泣き続けました。
先週いきなりやってきた祖母を、ある理由でどなって私が追い出した後、玄関先でずーっと泣いていました。
それから毎日夜中に起きては玄関を指差して「ばーば、ばーば」と大泣きしています。元々からだの弱い玲君の体力が持たないのではないか?と危惧(きぐ)している私は、朝はゆっくり眠らせてあげることにしました。いつもなら7時前には自分で起きてた子なのに。
お陰で肩身の狭い思いをしながら、毎日遅刻しますと保育園へ電話を入れています。情けない。
私も小さな頃、私の祖母が母と子ども達を引き離した時、とても辛くて母に会いたくて毎日泣いていました。
祖母に隠れて会いに行くために、家の前の小川の中を歩くという作戦も実行したことがあります。
当時は祖母が悪いと思っていましたが、今は自分が同じ事をしています。
理由は母が宗教を家庭に持ち込むから。自分だけが幸せで、周りが迷惑したり、こんな風に孫や子どもが悲しむ姿には眼をそむけて、宗教というベールをかぶって自分を正当化して、本当の「今」を見ていない。
そしてその宗教を他人にも布教して回る悪に気がつかない哀れな人々。
全てエホバを信じて、その言うとおりにしていれば、ハルマゲドンという人類最後の日がやってきたときに救われると信じている人々。
そしてその終わりの日がもう明日来てもおかしくない。と信じ込んでいる宗教。
他人に心を操作されていることも気がつかないで、家族を深く悲しませていることも眼をそらしている、ごまかしの人生。
イキテル意味があるのか?と問いたい。あなたはせっかく生まれてきてイキテルのに、人生をごまかして生きている。周りを深く傷つけながら。
イキテルって中で尊いものの1つに「絆」というものを1つのテーマにしている私。
どれだけ思いやりをもって生きられるか?どれだけ愛をこめて生きられるか?
例えば普通の家庭なら祖父母から孫の誕生を祝って贈られる雛人形とか、親子代々受け継いでいくものだと思っている。
私も幼い頃から、成人してからも雛人形を毎年出して飾ってくれた祖母には感謝しているし、雛人形を見ると温かく嬉しい気持ちになれた。
その雛人形は母方の祖母が私の誕生を祝って、健やかな成長を祈って買ってくれたもので、もちろん祖母が母を大切に思うからこそ、その子の子への贈り物だったに違いないのに…そういう気持ちを大切に思うからこそ、ただの人形を見ても嬉しいのではないか?と思う。
母は宗教上の理由でその雛人形を焼き捨てた。
いつも隠れてそういうことをする。そして自分がしたことが見つかれば開き直る。
彼女が更生するまで、我家には足を踏み入れないことを勧告した。
理由は昔から後ろめたいことは隠れてする人だったから、我家の子ども達にも隠れて教えたりするに違いない。
私や妹弟がそうやって育った。そして見つかった時には、殴り合いの夫婦喧嘩となり、顔が青く腫れ上がったのも見て育った。
子ども達は父の暴力に怯えて育った。母が宗教をして何の良いことも無かった。
祖母に可愛がられていた私は、母からめの仇(かたき)にされ、八つ当たりも受けたことはしばしばだった。
でも子どもの気持ちはよくわかる。どんな母でも子は母を慕うのだと(幼い内は)
やがて自立すると、それは反面教師となり、母なりに頑張ったと思うが評価はできないなと思っている。
人生から逃げる人が、どれだけ人に悲しみをもたらすかをこれだけ間近で見て育ったことに感謝している。
私は逃げない!という思い。そして今度は私が子育てをする中で、子どもの成長を1番に考えて大切にしていきたいという願いがあり、そんな自分を私は応援し愛しているから。
子どもを見ていると、ノビノビと色んな経験をして大きく成長して欲しいという願いが、自然と湧いてくる。
子どもに育てられているのは本当に実感。
子ども達の健やかな成長、そして笑顔のために日々色んなことを考え道を探している私。
もちろん親孝行もしてあげたいと思うからこそ、母には更生してまっとうな人生を歩んで欲しいと願って、今はあえて突き放している。
彼女の人生の解氷を深く願って。