MRIに映った背骨の水溜り

玲君はどうやらおたふく風邪みたいで、ご飯を噛むのが辛いらしく、私も「痛いだろうね。少しずつで良いから頑張って食べようね。」と励ましながら、ゆっくりと玲君のペースで無理強いはせずに朝食を食べさせてみた。昨日の夕飯が、京都でパパとしっかりめに食べたので、今朝は俊ですら、「あまり食べれないと思う」という始末。
せっかく前日からハンバーグのネタを仕込んでいたのにね。それでも嘉奏子だけは「わぁ〜♪何でお家でサイゼリアなの〜?!凄〜い♪」とか言いながら、結構な量をしっかりと食べてくれました。
おたふくなら、少し休ませてあげようと思い、私も授業の進捗具合に不安を抱えつつも、思い切って休むことにしました。というか、左足が肉離れのようになっていて、痛くて引きずってしか歩けず、普通に歩いて通うのも不安でしたので、自分も無理はしないことにしました。
せっかく休んだのだから、気になっていた8/3MRI検査の結果を早く知り、次の対策を打ち立てたいと思っていたので、産婦人科の病院へ行くことにしました。結果は、昨日の平安神宮でのおみくじ通り「軽い」ものでした。というか、手術までは・・・という微妙なところで、子宮が大きいのは確かであるし、生理中や生理の後の増血剤が有効なことも事実であるのだけど、子宮の形がキレイに保たれているので、手術までは直には踏み切れないという先生のご判断でした。
その代わりにMRIで映し出されたのは、骨盤の背骨の横に張り付くように神経を圧迫している水溜りでした。もしかしたら、この貯まった水袋が神経を圧迫して、色んな症状が出てきているのかもしれないので、産婦人科の先生が整形外科へ紹介状を書いて下さいました。
昨日から出てきた不思議な肉離れのような、左足ふくらはぎの痛みは・・・もしかしたらこの水がたまっているせいかもしれないなと思いました。それなら納得できる。
あの時々やってくる、脂汗が流れるような鈍痛は之なのか???産婦人科系だとばかり思っていたし、実際に子宮や卵巣の位置で痛むので、疑っていなかったけど、新しい事実に驚きでした。
約10年前、腹内出血で死にかけて、緊急手術をした後、体の不調から色んな産婦人科を回って、最終的に理由がわからず、検査等の心痛が負担でもあり、諦めた経験を思い出させます。本当に辛い日々でした。
それでもパパと出会って、子供が次々にできて、死産というか、腹内死の流産もありましたが、それでも3人も元気に育ってくれているのは、私にしては奇跡だと思っています。感謝もしています。
10年前を髣髴(ほうふつ)とさせる、今の私の体の不調から、祖母の他界、俊の普段からの心配りや、成績表の結果から、自分では頑張っているつもりが、なかなか結果につながっていなくて、涙が出ました。今の私はパパのお荷物でしかないです。
ご飯を作って、健康管理をしている訳でもなく、もちろん子供たちにはそうしているけれど、パパとのつながりは、ただただ私が居るというだけで、正直なところ良い関係だとは言えない今、本当に情けなく思っています。自分では頑張っているのに、それぞれが好き勝手して、挙句の果てには、俊に「ママは子供にばっかり手伝わせてズルイ」とパパに言うので、涙の結界が崩れました。
毎日の山のような洗濯物を乾かしては、猫の毛を取ってたたんで、引き出しにしまっているのは、自動的に当たり前と思っています。もちろん色んなことができるようになって欲しいので、5回に1回くらいは手伝わせて、引き出しに自分で服を戻すようにしますが、ズボンの引き出しにパンツもTシャツも入れているので(教えても、いつもグチャグチャ)結局は私が入れなおしているのに。そんなことは知らないまま、自分勝手なことを言いながら成長していく俊を情けなく思います。夏休みのお手伝いを自分で決めたことも、できていないのに、不満ばかり。
一緒にできるゲームをしたり、いつも寂しくないようにと心がけて努力しているけれど、普段からパパ役とママ役を一緒にしている私を受け入れにくいのは当然かもしれないなと思う。
昨日はパパにも「もういい」と言われ、みんなに否定され、色んなことが重なって、辛かった。心の支えがないままに、毎日をこなしていく内に、目標も持てなくなっている自分がいて、こんなことは初めてなので戸惑っている。今まで目標を持ってやってきたけど、今はアイデアも喜びも湧いて来ないし、インスピレーションも無い自分に戸惑うこのごろ。
だけど偶然にして昨日パパと一緒に行った平安神宮は、パパにも私にも凄く良い場所だと後から知って、その偶然に感謝しました。パパは人とのつながりや、仕事運が開ける方位で、私にも将来を切り開く方位のようです。今はとてもそんな気分ではないけど、今日から8月。何か小さなことから変えて行きたい。小さな岩にも足先をかけて、岩壁を登って行きたい今の心境です。死にたいとも思ったけど、死んだら終わりだし、諦めたら終わりだから。